相原 豊(あいはら ゆたか)
YUTAKA AIHARA
1979年6月21日生まれ
WORK:
サッカー指導者
ユタカフットボールアカデミー(タイ/バンコク)代表
YUTAKA AIHARA
1979年6月21日生まれ
サッカー指導者
ユタカフットボールアカデミー(タイ/バンコク)代表
更新途絶えててすいません。
実は・・・
また、入院しちゃいました。
今回は胃炎です。
それ以上は言えんです。
つまらん事言ってますけど、今日か明日、退院したらちゃんと報告します。
たぶん・・・
な~んて偉そうなタイトルで始めちゃうね。
いやね。
前回のブログの日韓戦なんだけどさ、アイリッシュバーで見てたのよ。
でさ、日本戦が見れるっつんで結構な日本人が店に押し寄せてきたのよ。
タイにあるアイリッシュバー。
なのに、超日本のホーム感。
よく分からんね。
その良く分からん環境の中に1組の韓国人グループと思われる団体が。
団体って言っても4人程よ。
なんで、韓国側だと思ったかって?
韓国が惜しい時とか、やたらと悔しがってるからさ。
そこで、整理しましょう。
そんなアウェーの中、すっげえ応援してるのよ。
スラムダンクにて。
湘北応援団が間違えて豊玉応援席に着いちゃったような環境なのにビビることなく応援しまくるのよ。
延長後半の最後の最後。
韓国が同点に追い付く。
こちら日本人サポーターは静まり返ってるワケですよ。
一瞬のシャッターにおどけて見せたもののそのショックったら。
このサラリーマン達、まさにリーマンショック。
で、その静かな会場でその韓国勢の一角だけはもの凄い歓喜してるワケ。
こんなアウェーの中、空気も何も読まずに乱れ喜ぶスムニダ。
このね、韓国人のメンタリティ。
ユタカ脱帽ですよ。
そこにボクは韓国の強さを見たワケです。
ただ・・・
試合終了後の撤収の早さは哀愁漂ったよね。
更に・・・
机の上に淋しく置かれたレシートも哀愁を増してたよね。
あの人たちの為にも日本代表、優勝して欲しいもんですな。
なんか時間軸があっち行ったりこっち行ったりだけど、新鮮なネタでお届け。
いやぁ、頑張ったね日本代表。
興奮したね日本代表。
昨日はボクが指導してる子供のお父さんコーチ達と観戦。
低血圧の観戦模様のボクの周りでお父さん達叫ぶ叫ぶ。
その隣の席で、一つの厳しい視線をボクは発見したの。
知らない人だし、日本人だから勝手に写真撮れなかったから雰囲気だけね。
もうね。マジ過ぎるの。
感情移入しまくりなの。
審判の不服なジャッジには声高らかに。
(雰囲気だけお届けしてます)
最後の最後で追いつかれた時なんて林のごとく静かに絶句。
(くどいですが雰囲気だけです)
で、そんな彼が隣で見てる中、ボクは相変わらず余計なコメントだらけ。
韓国選手に対して。
”インターナショナルスクールに通ってそうなヤツですね。”
”韓流ドラマで親友の彼女を実は好きな男って感じのヤツですね。”
どーでもいいコメント盛りだくさん。
隣のスナイパーの目で試合を見てる彼に怒られるかとかスゲエ心配しながらのコメント。
もちろん彼はボクのコメントにゃ無視。
ここで、ユタカの勝負が始まる。
なんとしても反応させてやる。
そして、チャンスはやってきた。
日本代表の戻りオフサイドのシーン。
戻りオフサイドの説明をするユタカ。
”出来ちゃった結婚みたいなもんすね。”
隣の彼、ニヤリ。
・・・そっち方面が好きなんだね。
日本代表もユタカもギリギリだけど勝てて良かったね。
日本でボクが指導してた子供達。
放っておいても、こうやって勝手にゲームを始めるのよ。
でね。
年末にボクが帰ったじゃん。
だからボクが見てた頃の卒業生の子たちが集まってくれたのよ。
一緒にサッカーやろうって。
こうやってカバンでゴール作ってね。
上手くなってる子や、増して面白くなってる子。
集まってくれてありがとね。
3月末にまた会おう。
日本の話ばっかじゃなくって、タイのお話でも。
木曜日にチャンリーグがあったのよ。
JASが参加してるリーグね。
現在、3戦3敗・・・
そろそろ1勝したいよね。
さ、気合入れて会場へ出陣!
Tシャツまで、モチベを上げますよ。
競技違えど気持は通ずる。
いざ出陣!
でも、背中はユルめ・・・
完全に偽物・・・
そして、試合の方は1-2でまた負け・・・
今度は違うTシャツで臨みます・・・
最後はご存じウガンダ。
カレーは飲み物でおなじみのウガンダさんとは何の関係も御座いません。
で、プロフィールでも写ってるけど、ユニホームがコチラ。
でよ。
このウガンダのユニホームはチームでの管理品なのよ。
ん?
なんで持ってるかって?
パクったんだよっ!!!
最終戦、試合後にユニホーム返さなかったんだよね。
サポ-ターが持って行ったんじゃない?とか言って。
でさ、こだわりの14番を付けるのが大変だったよ。
理由は既に14番の選手がいたから。
しかもね・・・
それがね・・・
監督さんだからね・・・
古田敦也の”代打、オレ”ばりの”スタメン、右サイドバック、オレ”。
毎回、試合前に14番を監督と取りあうワケですよ。
監督が言うワケよ。
”14番は俺の番号だ。しかも俺はスタメンだぞ。”って。
なんてワンマンな・・・なんて強引な・・・
でも、そこはわがままな次男。
関係なく14番着用。
でもさ、サイズがやたらデケエ。
XXLとかだったんじゃないかな。
X多いし・・・
しかもね・・・
使い回し過ぎて14番ハゲまくってるからね・・・
これらがユタカ博物館のユニホーム達。
続きまして、バングラデシュでのユニホームでしゅ。
追々説明するけど1枚だけね。
ボクの契約、こだわりが2つ。
背番号は14にしてくれってのと、各色2着ずつユニホームをくれっての。
初めてプロになったタイで14番だったから、ずっと14番を付けたかったのよ。
あと、暑い国だから前半だけで汗でビチャビチャになるから前半用と後半用で2着くれって。
したらよ。
給料だけじゃなくって、ユニホームまで”明日、明日”で全く渡されなかったの。
で、最終戦。
青のユニホームで試合してたのね。
相手のチームのユニホームがカッコ良かったから、最終戦だし試合後にユニホーム交換したのよ。
記念にもなるし最終戦後、監督にいい加減ユニホームくれって言ったら、スポンサー、背番号の全てが入ってないガラのみの青いユニホームをくれたのよ。
超いらねえ・・・
しかも白のユニホームに関しては色しか同じじゃねえし・・・
”マンUと同じユニホームだぞ”
だって。
アイツらの目にはどんなマンUが映ってるんだろう・・・
だから、白のこのユニホームだけ。
実家に置いてあるボクの歴代のユニホーム達。
まずは、ユタカのデビュー・タイランド。
嬉しかったよね。
初めて自分の名前が入ったユニホームを貰った時。
でも。
胸のスポンサーロゴなんだけど、リオって言ってビールメーカなのね。
ビールメーカーがスポンサーで、チームはタバコ製造会社。
勝てるワケねえっす。
これがボクのデビューユニホーム。
日本でのボクの一人お楽しみ会。
近所の壁を使ってこんな事もよくやってたんだよね。
httpv://www.youtube.com/watch?v=SJ1_vWWUrFY
また、左足だけっす。
右使うと、すぐ終わります。
でも、いいの。
本人楽しんでるから。
Say Yesじゃないけど、何度も言うよ~。
こんな事ばっかやってると、近所で有名なニートになるよ。
ど~もです。
ユニホームの当選者発表、やっとやるよ。
ただ、ネタが無くって初心忘れるべからずな抽選法になっちゃったけど、許してね。
さ、こんなお鍋に入れまして。
抽選抽選。
ジャカジャカジャカジャカジャカジャカジャカジャカ~~~・・・
ジャンッ!!!
当選者は・・・