2003年、サッカー選手になるべく単身タイへ。ストリートサッカー経てタイリーグでプロデビュー。その後、日本人が誰もプレーしたことのないバングラデシュに行きプロ契約。日本人初のバングラデシュリーガーとなる。その翌年、アフリカのウガンダへ行きウガンダでも日本人初のウガンダリーガーとなる。
2006年からは日本の少年サッカースクール“エスコリーニャ・フッチボル・クルービ”でコーチとして契約し、本格的にコーチのキャリアをスタート。
2009年になると独立し、タイでYutaka Football Academyを設立。
また、本人が先天的に左手部欠損というハンディを抱えてることから、同じ障害を持つ子供たちに夢を与えるため、バンコク・マハメック地区のスックろう学校にてサッカー教室を開催。同時に同じマハメック地区のマハメック孤児院でもサッカー教室を開催。
2012年には手足に障害を抱える選手がプレーするアンプティサッカーを始め、その年にアンプティサッカー日本代表にゴールキーパーとして選出され、ロシアで開催されたW杯に出場。
2013年にはアンプティサッカーの練習の為、3週間ガーナへ単身修行。
現在は、シラチャとバンコクで指導している日本人と、バンコクで指導している孤児院の子供とろう学校の子供を一堂に集め、国籍関係なくチームを再編成して行う大会“ユタカ祭り”を開催。
まずは、ろう学校の子供たちを日本に連れて行き、日本のろう学校の子供たちとの交流戦を行い、さらにその数年後は東南アジア諸国でろう学校の交流大会を行い、彼らの“外国”“ハンディキャップ”という壁を少しでも取っ払う協力をしたい。