相原 豊(あいはら ゆたか)
YUTAKA AIHARA
1979年6月21日生まれ
WORK:
サッカー指導者
ユタカフットボールアカデミー(タイ/バンコク)代表
YUTAKA AIHARA
1979年6月21日生まれ
サッカー指導者
ユタカフットボールアカデミー(タイ/バンコク)代表
ここらで、モンゴルリーグの説明を。
まず、全7チームによる総当たり戦。
その後、上位6チームがセカンドラウンドへ。
要するに、ダメな1チームだけ敗退。
セカンドラウンドは3チーム毎に分かれて総当たり。
2チームずつが最終ラウンドに進出。
ベスト4からは・・・
よくワカンネ~。
だってさ。
ボクね。
決勝は9月5日って聞いてたのね。
だから帰りのチケットは9月7日を取ったのよ。
来てみてビックリ。
最終戦は9月11日なんだって・・・
勝ち続けても出れねえじゃん。
ま、それまで残ってればの話だけど・・・
今日は前に指導に来た子供のチームに行ったのね。
そこのコーチはボクがプレーする、マザラっていうチームの選手も兼ねてるのね。
でよ。
そのバエラってやつがボクにこんなものを渡してきたのよ。
なぜに写真付き???
撮られた覚えはねえぞ???
恐るべしモンゴル。
まぁ、何にせよ日本人初のモンゴルリーガー誕生です。
あとは、お腹がくっついてプレーが出来たらなぁ・・・
ひとまず、チューカさんっていうモンゴル人の人んちに泊めてもらってるのよ。
前に来た時に泊めてもらってた人ね。
彼の子供のマラガ。
可愛いやつなんだよね。
ボクが前に教えたフェイントを、“覚えてるよ“みたいな感じで見せてくれるのね。
なんか、うれしいよね。
で、こんな事も。
でもさ、この後ボール乗っけたまま、Tシャツを脱ごうとするのね。
魂までユタカを覚えてたか・・・
とりあえすね、こんなお腹だけどモンゴルへいざ出発よ。
夜中1時のフライトでさ、ぐっすり寝たらもう北京よ。
?!?!?!
機内食食い忘れたぁぁぁ!!!
ボクの好物に機内食ってのがあるのに、みすみす逃しちまったぁ。
眠かったし、食い忘れるし、凹むよね。
とりあえず、こっちに着いて、お腹の状態もまだ芳しくないから、ちょっとお休みして、すぐに復活したいと思いますよ。
最後に、モンゴルの思い出をフラッシュバック。
初めてのモンゴル人への指導。
みんな楽しそうだったね。
チームに入って地方へ出陣。
ほぼロシアとの国境でしたよ。
心なしか寒さも倍増よ。
ユニホームに袖を通して試合で点を取ったのよね。
あっさり負けて夜行列車で帰ったよね。
負けても電車じゃみんなニコニコ。
仲良くなった日本人のみんな。
ご馳走様でした。
子供達との練習後のPK合戦。
蹴るフリして靴飛ばしたら、大人に怒られたなぁ・・・
さて、既にお気づきの人もいると思いますが・・・
カテゴリーの欄にモンゴルが追加されてるでしょ。
コレね。
今後もモンゴルやるつもりで作ったのね。
だ~か~ら~。
夏にもう一回モンゴルに行ってくるね!
あの程度じゃ、日本人のサッカーを魅せつけてないからさ。
よしっ!
気持ち入れてこれからモンゴルに向けて猛特訓よ。
かかって来いっ!モンゴル人っ!
正直言います。
このオチをやりたかっただけでモンゴル行きました・・・
モンゴル最終日。
チューカさんの息子のマラガとも仲良くなったのに、お別れは淋しいわね。
そして、最終日のデレン墨田の練習。
相変わらずダブルの練習。
そして、ユタカは見てるだけぇ・・・
寒い。
ただただ寒い。
で、練習終わって最後、みんなにご挨拶。
ボクが某アイドルだったら挨拶してスパイクを置いていくんだろうけど、引退じゃねーしな。
最後にみんなの前で軽くショータイム。
そして、一人一人と握手。
みんな良い奴だったなぁ。
国籍関係なく子供はかわいいもんだね。
そして、最後にボクが仕込んだ、100%の気をつけっ!
ちゃんと”アリガトウゴザイマシタ。”も言えたね。
これでボクのモンゴルのお話はだいたい終わりね。
あとちょっとまとめて、ガッツリ現在の話に移るね。
これからもよろしこ。
さあさあ、モンゴルのお話もあとわずかよ。
モンゴル生活が残りわずかってなって、自分自身が動く機会が少なくなったのね。
肉ばっか食ってる毎日。
引き締まった体で女にモテたい。
ユタカを突き動かすのにこれ以上の理由は要らないのね。
だから、走る事にしたの。
よし、あそこまで走ろう。
チューカ邸から見える手前の山登っちゃおうって思ったの。
でね、靴がフットサルシューズしかないワケよ。
まさか、インドア生まれのあの靴が、山登らされるとは思ってもいなかったと思う。
5kmほど走ると山のふもとに着くのね。
で、目指すは頂上。
山って言っても、丘寄りな山だから頑張れば素人でも安全。
な、はずだったのに。
・・・いるじゃないですか。
・・・野生の牛が。
急な雪が軽く敷かれた斜面を、滑らないようにゆっくりゆっくり。
フンをかわし、牛をかわし、ゆっくりゆっくり。
ふと周りを見ると、周りの山に吸い込まれそうになるし、終始ひとり言よ。
”おっかねえ。怖え。”
モチベーションとしては、ネタ作りのみで登ってるようなもんだから、心も折れやすいよね。
ただ、折れなかったよ。
折れずに登頂成功!!!
気分が上がって、頂上で吠えたの。
”うぉぉぉぉぉ~~ー!!!”
ボクにかわされた牛たちが一斉にボクを見たよね。
あの山とその住民の牛達がボクを認めた瞬間だったね。
そして、日本でぬくぬく育ってたら一生つかないであろう汚れ方が、ボクのフットサルシューズに。
ホントはインドアな子なのに・・・
ごめんよぉ。
そろそろモンゴルの思ひ出話も佳境っすよ。
いい加減に現実(タイ)に帰ってこないとね。
ある日、チューカさんに言われたのよ。
”ユタカ、暇か?”
ま、どんだけ空気の読めない奴でもボクがヒマな事くらいは一目瞭然だったのね。
逆の空気を読んだチューカさんはボクとダブルをフットサルの大会に連れて行ってくれたのね。
U-17の大会らしい。
おや?
U-17の大会はウランバートルでやるのに、トップリーグの選手の大会は遥かロシアの国境周辺。
どーなってんだか・・・
心なしか客もこっちの方が多い気が・・・
で、会場についてチューカさんの言われるがままに席に座らされたのね。
・・・
VIP席じゃないですかぁ?!
プロレスでいうところの、解説者が座る席に座らされたのね。
で、ボクが見た試合は白熱した3位決定戦よ。
白熱し過ぎて、決着つかず。
同着で3位だったのね。
で、表彰式。
???????
ボクですか?
何故か選手にメダルをかける係をボクとダブルがやる事に。
最初から仕組まれてたのかなぁ?
だったら初めから言ってよぉ。
思いっきり私服じゃん。
トップリーグのチームでプレーした日本人選手って言ったって、会場はロシア近郊。
ボクの知名度なんてU-17のモンゴルサッカー会からしてみりゃ、おちょこの裏みたいな小ささよ。
折角の3位メダル。そんなのにかけてもらうってどうなんでしょう。
銅なんでしょう・・・
↑なんか、スゲエ恥ずかしい。
モンゴルはこうやってボクをVIP扱いしてくれるのね。
だから、ちょう好き。
さて、モンゴルのお話に戻しまして。
モンゴルの子供達にもサッカーの大会はあるのね。
デレン墨田もそれに参加するようで。
団長のチューカさんちに居候してたボクは、興味本位でその抽選会に行ってきたのね。
場所はまたまた登場、朝青龍の使ってたグランドの中の会議室。
もう、全ての事はココって思っていいね。
で、会議室にて抽選会。
こうやって、1チームずつ前に出てくじを引いて、組み合わせを決めていくんだよね。
なるほど。
こういう雰囲気で、こんな会議をやってるワケね。
いいんじゃないの。
たださ。
頼むから暖房入れて・・・
寒過ぎるし・・・
なんか、睡魔もボクを襲って来てさ。
寝たら死ぬぞって心に言い聞かせながら。
モンゴル人が会議をそんなに長々とやる奴らじゃなくって助かったよ。
簡単な場所でも、簡単なピンチってあったんだね。
まだまだ続くモンゴルの思い出。
その日もダブルの練習日だったのね。
例の朝青龍がサッカーやってたグランドね。
最初はこのグランドを使う事でネタが出来たって思ってたボクも、このくらいになると便所に行くのと同じくらい無感動でグランドインしてたよ。
でも子供達は控室からやる気満々よ。
形から入るタイプなのか、その方が気合が入るのか、理由はどちらか分からないけど、みんな1列に並んで控室を出て、グランドインするのよ。
ただし、グランドに入ったらバラバラになって整列も一苦労なのがモンゴルの子供らしい・・・
で、子供達とダブルの気合とは別のところで、ボクの魂は完全に寒さにヒヨッてたよ。
だって、やる事ねえんだもん。
まぁ、最初のモチベーションは”セルビアサッカーを盗もう”だったけど、練習メニューとかやったことあるやつばっかだったし、問題はメニューが全てじゃないってことが確認できたから、あとのボクはブラブラと周りの景色を崇めながら寒さに耐える事しかやる事が無かったんだよ。
だからってさ。
ダブルさんよぉ。
シュート練習のキーパーだけをボクにやらすっていかがなもんかねぇ・・・
あっという間に3度目のろくなもんじゃねえ。
こんだけろくなもんじゃねえと、長淵だってハーモニカ吹きづらいと思うよ。
バングラ被害者の会。
そう思って仲良くなれると思ってたのはボクだけだったようね・・・